2022年4月 赤いプリーツスカートの刹那的誘惑がウクライナ紛争を導く
- Blog
- 2024年8月 今、この瞬間に集中する選手たち
- 2024年7月 夏の風物詩
- 2024年5月 台湾地震とヘチマのストーリー
- 2024年4月 名前
- 2024年3月 家族で体験するEVライフ
- 2024年2月 ランニングのすすめ
- 2024年1月 辰年
- 2023年12月 リッチに貸そうかな、まああてにすんな…
- 2023年11月 デジタル化のハザマの学生時代
- 2023年10月 ニューノーマル
- 2023年9月 美味しいお店
- 2023年8月 来日して驚いたこと
- 2023年7月 断捨離(?)と写真
- 2023年6月 歩くことが好きです
- 2023年5月 80年代の音楽について
- 2023年4月 久しぶりの中国出張
- 2023年3月 Lebkuchen
- 2023年2月 『男は黙って・・・』
- 2023年1月 もちつき
- 2022年12月 幼児食
- 2022年11月 毛深い友達
- 2022年10月 「いざという時」
- 2022年9月 秋といえば。。。
- 2022年8月 夏の終わり
- 2022年7月 赤提灯好きのミャンマー
- 2022年6月 日本一の魚影を堪能
- 2022年5月 近い未来の電池
- 2022年4月 赤いプリーツスカートの刹那的誘惑がウクライナ紛争を導く
- 2022年3月 My home country: Hong Kong in the British Era
- 2022年2月 ご近所のパワースポット
- 2022年1月 変化を楽しむ
- 2021年12月 ペット
- 2021年11月 最近の気分転換
- 2021年10月 手指の消毒の方法
- 2021年9月 『昭和の思い出、令和で語る』
- 2021年8月 ワクチン接種
- 2021年7月 今日の学びは明日の『蓄え』
- 2021年6月 Life in Louisiana
- 2021年5月 働き育てる日々は続く。
- 2021年4月 2021年の桜
- 2021年3月 大連Shared Service Centerへようこそ
- 2021年2月 ヘアドネーション
- 2021年1月 歳を取るということ
- 2020年12月 巣ごもりからGOTO
- 2020年11月 スポーツのない日々
- 2020年10月 石の楽しみ
- 2020年9月 遠野のカッパ達はどうしているだろうか?
- 2020年8月 禁止への侵犯、かも?
- 2020年7月 点で見る、線で見る
- 2020年6月 リチウム化学製品はどこから来る?
- 2020年5月 カンパニーイベント
- 2020年4月 コーチング スターティン
- 2020年3月 日日是好日
- 2020年2月 那須アルパカ牧場
- 2020年1月 ハワイへの出張
- 2019年12月 ラグビーワールドカップ
- 2019年11月 可愛いバッグのタグ!?
- 2019年10月 キャラクター万歳
- 2019年9月 シャーロット生活4年目突入
- 2019年8月 夏の過ごし方
- 2019年7月 電気自動車への期待
- 2019年6月 ワーキングマザー2年目の抱負
- 2019年5月 上海出張
- 2019年4月 Curiosity in Dalian
- 2019年3月 We are Albemarle in Seoul
- 2019年2月 5S 断捨離 リサイクル
- 2019年1月 あけましておめでとうございます
- 2018年12月 台湾の冬
- 2018年11月 赤坂を楽しむ
- 2018年10月 アメリカの近代史
- 2018年9月 安全第一
- 2018年8月 大連のランチ事情
- 2018年7月 散歩の楽しみ
- 2018年6月 チームビルディング研修
- 2018年5月 ごあいさつ
題名を見て「ヤバイッ」と思わずクリックした皆さん、ご苦労様です。まさか会社のブログにそんな不謹慎な内容を書くわけがありません。これは不謹慎と対極にあるブログ(のはず)です。
遡ること約半世紀前、私が小学1年生の時の話です。お隣、といっても広大な牧場を挟んで約1キロ先にたかゆき君という同級生がいた。彼はいつもクレヨンしんちゃんに出てくるボーちゃんのようにいつも鼻水を垂らしていた。それだけではなく、乾いた鼻水でいつも上唇がガビガビの少年でした。今どき見ないよなぁ、少なくとも東京には。
で、ある日そのガビガビ少年たかゆき君と一緒に学校の校庭で同級生の女の子のスカートをめくってキャッキャッ言いながら走り回っていた。午後の2-3時頃で、高学年はまだ授業中だった。キャッキャッしていたのが我々男子2名だけでなく、その女の子も弾ける様な満面の笑みの中で我々から逃げ回っていた事は半世紀経った今でも明瞭に記憶しているけど、今の時代あらぬ誤解を招くので記憶から消し去ろう。それはさておき、高学年が授業中であったという事は、先生方も当然校舎に居て、暫くすると血相を変えた先生が飛び出してきて私とたかゆき君の二人の耳を引っ張りながら職員室に連れていかれた。「イタイ!」と叫んだかどうかは覚えてないけど、それ位の事だと教師による暴力などとは誰にも想起されない時代であった。職員室に入った後は想像するまでもなくコンコンと説教をされた挙句、廊下に立たされた。その説教もさっぱり心に響かず、「とにかくスカートめくりはダメなんだ」の一点張りで何故怒られているのかも全然分からなかった(教えてくれなかった)。おかしい、その同級生の女の子もあれ程喜んでいたはずなのに。なにもスカートの中に興味があったのではない。そもそもその女の子はその時代にとって普遍的なスカートで、歩く度にヒラヒラと揺れる鮮やかな赤いプリーツタイプだった。そのフリフリが面白くて触りたい、否、正しくはこの手でヒラリとめくりたいだけだったのだ(と、思う)。ヒラヒラが魅力的だから触ると言う自由すらないのか。ああ、もっと欲望に対し自由で刹那的に生きたい。その時以来この出来事は、本質の共通理解が得られない限り欲望に自由に生きようと決めた私の人生にとって大きな里程標となった。そう、トーマス・ホッブスの「リバイアサン」で主張している、人間は生まれつき善良なのではなく、生まれつき自己中心的な快楽主義者である事を実践するかのように。ついでに言うとホッブスはこの著書の中で人の行動を決める動機は、私利私欲と己の快楽によってのみ導かれる故、人類は破滅的な殺戮を繰り返すという運命にあると看破した。がしかし、その殺戮の歴史に終止符を打つには私利私欲に満ちた愚民を束ねるオーソリティー(権威者)の存在が必要だと結論付けてしまい、この結論が彼の業績における後世に渡る汚点となってしまった。オーソリティー自身が私利私欲や自己快楽に満ち溢れた人格だったらどうするんだ。もう既に何人もの権威者が同じ失敗を繰り返し、現在に至ってもロシアによるウクライナへの侵攻がその典型と思われる。
そこで、相手が対等に「自由」な意思を持つ存在であることを認め合うことで社会を作っていくこと、すなわち「自由の相互承認」こそが平和に生きる道であると説いたのがヘーゲルだった。近代民主主義の底流となる原理だ。これで安泰。しかも最近では多様性も叫ばれて「自由の相互承認」が益々進化していったかに思えたが、好事魔多し。今度は、多様性であるが故に物事が決まらなくなくなり、そのもどかしさから分断とオーソリティーへの要求が強くなってしまった。よく街に氾濫する政治家や政党のポスターに見られる怪しいキャッチコピーの「決める政治!」がそれだ。結局リバイアサンへの回帰じゃん。欲望の赴くままに生きても良いって事?
連日流される東欧からのニュースに次の世代への暗黒化を憂いながら、スカートめくりで怒られるなんて平和だったんだなぁ、って思うこの頃なのです。特に赤いプリーツスカートの刹那的色彩の強烈な印象と共に。
2022年5月 HM